ごあいさつ

私はもともと工作(物を作ること)か好きでまた、 父が建設会社を経営していたこともあり、良く現場に 連れて行ってもらいました。 そんなわけで、小さい頃から建築設計士にあこがれ、 将来は有名な建築家になりたいなどと思うようになり ました。 そして、小学校の卒業アルバムにも、将来の 夢に「建築設計技師」と書いたほどでした。 それから時は経ち、19歳で父を亡くすことになり、 父の会社も休眠状態にすることになってしました。 しかし、父に語った「建築設計技師」の夢はあきらめ ず、念願叶ってハウスメーカーの設計部に就職する ことができました。 このころバブルの絶頂期で3日に一日位しか家に 帰れない日々が続きました。 それでも、建築設計が楽しく、若かったせいもあり、 毎日が勉強で新鮮で、何も考えずただひたすら仕事を 必死にこなす毎日を過ごしました。 そして、バブルが崩壊!状況が一変しました。 つまり、お客様に家を建ててもらう契約の為にほとんど 無料で設計し大幅値引きをし、それでも契約がまともに 出来ず、無駄働きの回数が益々増えて行き、さらなる徹夜の日々が増えていったのです。 実際、契約物件の数は減っていっているのでもちろん給料も減ってゆき・・・・・・ そんな状態になっていくと現場担当には無謀な利益UPのノルマが課せられ、営業担当には 詐欺まがいな事をしてでも契約を取ってくるように言われ・・・・・ 内容も詰まっていないじょうたいのまま契約! また、資金回収を早めるために会社からも着工と工期を短縮させられる。 内容も煮詰まって無い状態で着工と工期の短縮はやはり無謀である。 無理な短縮は現場のトラブルを生み、雑な施工を発生させる。 物作りが好きで、建築が好きで、すばらしい住宅を作り上げていくことがやりたくて、 入った、この住宅建築業界なのに・・・・ そのころは仕事がつらく、設計がつまんなく、建築がいやになりかけていた。 結局私は10年間以上サラリーマン(住宅会社)を続けたが、その間に設計部の後、現場監督、そして研究・商品(ハウスメーカーは家を商品と呼ぶ)開発を担当した。 そのころ改めてあらゆる同業他社等のハウスメーカーの生い立ちから、工法、技術力、販売方法等、 あらゆる事を研究した。 そしてわかったのが、当時自分の居た住宅会社だけではなく業界全体 (大手ビルダーやハウスメーカー)がそんな感じで住宅を販売していることがわかってきた。 そして、こつこつとまじめに時間をかけ良い物を売っていこうとしている住宅会社が一つ、 そしてまた一つ、この業界から去っていっているように思えた。 そのころから特にある思いがつのっていたのである。 「何千万もする家、家族の一生をも左右する住宅・・・ それがこんな営業方法(販売の仕方)で 良いものだろうか・・・・ なぜもっと時間を掛け、手間を掛け、家を造り上げて行かないのか・・・ 住宅販売会社側からの都合ありきの販売でよいのか・・・・ お客様は本当の家の造り方というものをご理解頂いてお金を出しているのだろうか・・・・」 「よぉ~し!!私が住宅会社を始めることが出来たら、 もっと、もっと、お客様の身になって考え、 もっと、もっと手間と時間を掛け、お客様と共に家を造り上げ行く・・ もちろん作ることのすばらしさ、家を造り上げていくことの難しさ故のやりがい、 そんな(すばらしさ)や(やりがい)を社員みんながもてる会社にしたい。」 私はそんな思いで会社を造り上げました。 そしてそんな思いは今もかわりません。 幸いにして私どものお客様方には大変満足して頂いており、 ご紹介も大変多く頂き、現在までやってくることが出来たと思っております。 そんな点を私は自負していますが、ここだけの話{手間を掛ける=儲かる}と言うことには 直接ならず、そのためか未だに会社は大きくなっていません。 しかし、私はそれでも良いと思いっています。 それは、私どもの社員もお客様も、みな当社のやりかたで満足し、 幸せを感じてくださっていると思っているからです。 また、当社の社員は私の思いである物創りのすばらしさ、おもしろさ、を理解し仕事に あたるものばかりであると確信しています。 そんな私どもだから、家(住宅)に関することなら何でもよろこんでお受け致します。 そしてお客様が私どもにご要望をされる、棚板一枚の工事でもお客様と共に一緒に造り上げ、 同じ思いになって頂きたいと思っています。 (そんな訳で当社は特別な事情が無い限り一切、下請け工事受けておりません。) また、そんな気持ちで創り上げていく事が出来ればお客様も私たちも、 ものすごく幸せになると思うのです。 是非そんな私どもに家の相談をお寄せ下さい。 棚板1枚、電球1個の交換からでも一生のお付き合いが出来ますように頑張ります。 建築が好きなんです。

晴建築工房株式会社 代表取締役 中山 晴喜